BIOGRAPHY

角松敏生(かどまつとしき)※本名同じ

1960年 東京都出身

'80年、ビクター音楽振興会に渡ったデモ・テープがきっかけとなり、翌'81年6月、シングル・アルバム同時リリースでデビュー。以後、彼の生み出す心地よいサウンドは多くの人々の共感を呼び、時代や世代を越えて支持されるシンガーとしての道を歩き始める。また、他アーティストのプロデュースをいち早く手掛け始め、特に'83年リリースの杏里「悲しみがとまらない」、'88年リリースの中山美穂「You're My Only Shinin' Star」はどちらも角松敏生プロデュース作品として業界チャート誌の第1位を記録した。

'93年までに13枚のオリジナル・アルバムをリリース。年間で最高90本のコンサート・ツアーを敢行、同時に杏里、中山美穂、中森明菜らのプロデュースも精力的にこなしてきた角松だったが、歌そのものの本来あるべき姿を追求し続けていた彼は、この年の1月27日、日本武道館でのライヴを最後に自らのアーティスト活動を『凍結』してしまう。しかしこの“凍結期間”は、逆に「プロデュース活動」をさらに多忙にさせるといった結果となり、他にも映像制作・脚本・舞台音楽などの新しいジャンルにチャレンジ。特に個性派シンガーを集めて制作したコンピレーション・アルバム「VOCALAND(ヴォーカランド)」シリーズではプロデューサーとしての手腕を存分に発揮した。また、'97年にNHK“みんなのうた”としてリリースされたAGHARTA(アガルタ:角松敏生が結成した謎の覆面バンド)のシングル「ILE AIYE(イレ アイエ)〜WAになっておどろう」は社会現象ともいえる反響を集め大ヒット。'98年2月の長野冬季オリンピック閉会式では自らAGHARTAのメインヴォーカルとしてその大舞台に立ち、その映像は全世界に向けて映し出された。

『凍結』から約5年、角松敏生は遂に自身の活動を『解凍』することを宣言。'98年5月18日、凍結した同じ場所・日本武道館での「He is Back」コンサートは、チケット発売直後にソールド・アウトとなる。同年秋には、日産“新型ステージア”のTV-CFソングとして書き下ろしたシングル「Unforgettable」をリリース、そして'99年1月、約7年振りにリリースされたオリジナル・アルバム「TIME TUNNEL」は他の若手をおさえ、チャート誌初登場第3位を記録。その後、'00年1月にリリースされたセルフカヴァー・アルバム「The gentle sex」、同8月にリリースされたオリジナル・アルバム「存在の証明」は、いずれも初登場ベストテン入りを果たし、現在の音楽シーンにおいてもリアルタイムな存在を十分にアピールするアーティストであることが証明されている。

2001年、角松敏生はデビュー20周年を迎えた。20年前のデビューの日と同じ6月21日に20周年記念シングル「心配/YOKOHAMA Twilight Time」をリリース。
そして、8月には約10,000人のファンを集めて、20周年記念コンサート(東京ビッグサイト・野外特設ステージ)が行われた。本来2daysとなるはずだったが、初日が台風で中止になるアクシデント。にもかかわらず、2日目は4時間にも及ぶ白熱のライヴを展開。その模様はスペシャルプログラムが組まれWOWOWにて放映された。

2002年は、角松自身初の試みとなる、映画『白い船』(2002年5月より全国公開)の音楽監督を担当。同映画の主題歌「Always Be With You」を5月22日に、サウンドトラックアルバムを6月26日にリリース。
そして、オリジナル・アルバムとしては約2年振りとなるニューアルバム「INCARNATIO」を10月にリリースする。

時代を超える普遍性を模索し、常に新しい表現を求め、クオリティの高い音楽をクリエイトし続ける角松敏生の次なるステップにご注目ください。



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